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イガラシイッセイです。無口の反動は日記に表れます。
by polisan
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CHOP-ME-NOT DIARY
考えること、それが苦手なこと。
幼少の頃から「考える」訓練を怠ってきたツケが、今になって回ってきています。

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小学生時代、一番苦手な宿題は読書感想文でした。本を読んでおもしろかったとかつまらなかったとは感じますが、なぜそう感じたのか、それをどう言葉にすればいいのかということがさっぱりわからなかったからです。何か感じたら付箋を貼っておくとよい、と教わりその通りにしたところ、付箋部分だけを抜き出して「○○は~と言いました。僕は~と思いました。」というフレーズが延々と続く結果になりました。部分的に感じたことはそのように書けましたが、全体的な感想となると「おもしろかったです。」という一言しか思い浮かびませんでした。


小学5年生の時、クラスメートの前で少人数でディスカッションをするという授業がありました。ディスカッションするグループは担任によって「意見を言う能力(技術)が同じ程度の者同士」で分けられ、私は最も意見を言うことが苦手なグループに入れられました。

ディスカッションは意見を言うのが上手いグループから順に行われ、私のチームは大トリとなりました。メンバーは私の他に、大人しく無口な女子が2人でした。

我々の出番が訪れ、教室の中央で指定されたテーマについて議論することになりました。3人で並び、女子2人が小さな声ながら議論を開始しますが、私はただそれを眺めるだけ。眺めながら、なんでみんなこんなに自分の考えを言うことができるのだろう、と不思議に思っていました。おそらく私はテーマに関心がなかったのですが、それ以上に考えるということがどういうことかピンと来ていなかったのです。提示されたテーマの意味はわかります。でも、それについて意見を持つというのは一体どういうことなのだろう?と。

時間切れになり議論は終わりましたが、結局私は一言も発しませんでした。担任はそんな私を見て、冷やかに、それでいて腹にすえかねた面持ちでこう言い放ちました。





「君は卑怯だよ。」





小中高と一貫して私はペーパーテストをとても得意としていました。期末テストなどの点数はかなり良い方だったと思います。もちろんペーパーテストでも「考える」必要はありますが、それは自分の知識を総動員して求められている正解にたどり着くための「考える」です。しかし意見を言うために「考える」のは、正解がないことについて自分なりに納得できる着地点を見つけることでしょう。そうなるとまず最初にどうしていいのかがわからず、取りかかることもできぬまま早々に「考える」ことを放棄してしまうのです。

それは今も続いています。

意見を言わないこと、テーマについて考え(られ)ないことを「卑怯だよ。」と指摘されて現在に至るまで、「卑怯」とはどういう意図で言われたのかすら考えもせず、他のことでも殊更「考える」訓練を積むことなくのうのうと生きてきてしまいました。例えばこのブログで時々映画を観た感想を書くことがありますが、それは「考えた」ことではなく「感じた」ことに過ぎません。「考えた」と「感じた」の間には天と地ほどの開きがあると思っています。考えのない感想は小学校時代の読書感想文から何も進歩していないのです。少なくとも自分の中では。


眠いのでこの辺までにしておきますが、今の気持ちとしては、考える人が周りに多くいても自分は対等に話せないという歯がゆさがあります。最近は情報を得るだけではなくて咀嚼して自分の考えを構築しようとしています。が、なかなかやはり難しいです。ああ、この努力が早いこと実りますように!
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by polisan | 2010-04-22 01:58 | 日記
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